ENZO’S GIFT エンツォからの贈り物

ENZO’S GIFT エンツォからの贈り物_a0129711_12504597.jpeg
308GTBは発売直後から世界中から注文が殺到し、経済的に大きな成功を収めました。この段階でグラスファイバー製ボディからスチールボディへの切り替えが可能と判断されました。グラスファイバーを良好な水準で仕上げるのは非常に難しいことが明らかになったことに加え、新たに製造されたファイバーボディの乾燥に時間がかかりすぎるため、生産が市場の需要に追いつかなかったことが大きな要因でした。そこで1976年11月と12月に、フェラーリは308GTBのボディをスチールで生産し始めました。最初のスチールボディのモデルはすべて北米仕様車でした。ファイバーモデルは1977年春まで他の地域の仕様として生産されました。その後それらもスチール製ボディに変更され生産されるようになりました。フロントボンネットは引き続きアルミニウムが使用され、フロントスカートとリアスカートも引き続きグラスファイバーが使用されました。
スチールボディの308GTBは初期のファイバーモデルと簡単に見分けられます。ファイバーモデルだけがAピラーに沿って継ぎ目が見えるからです。スチール製の308のリヤパネルにはナンバープレートを収納するための長方形の窪みが設けられました。また308GTBヴェトロレジナには白いリバースライトがリヤバンパーの中に埋め込まれていましたが、スチール製になってからは丸いオレンジ色のインジケーターライトに移設され、レンズ中央に円形の白いライトが埋め込まれました。Vetroresinaではオレンジ一色でした。スチール製の308はファイバーモデルよりも約135kg重くなっています。公式の数値はありません。スチールボディ導入後、1977年にはグラスファイバー製の大型スポイラーがオプションになります。(北米仕様を除く、すべてのモデル)これは非常に人気があり、公式にスポイラーが装備されていなかった時代の多くのファイバーボディに後付けされました。さらにメーカーオプションとして(北米では同様に利用できませんでしたが)ピレリP7タイヤを装着した16インチホィールも提供されました。1978年シャーシナンバー236xxあたりで、フェラーリはリアリッド(エンジンとラッゲージコンパートメントを両方覆う)を支えるために使用されていた単一の中央支持スタンドを左右二つのガスダンパーに変更しました。1980年キャブレター搭載の308GTBの生産終了に際し、フェラーリはモモ製のステアリングからスロット付きのスポークをもつ、より目立つホーンボタンを備えた、わずかに異なるナルディ製のステアリングホィールに変更しました。

ここで紹介する308GTBVetroresina はその生涯のほとんどをレオナルドフィオラバンティ自身の手によって過ごした、非常に特別な1台です。シリアルナンバー20275は1976年11月5日に完成し、アルジェントメタリザート106-E-1(メタリックシルバーグレイ)にバーガンディのインテリアが施されました。当初予定されていたネロ(黒)のレザーは納車直前に変更されました。
ENZO’S GIFT エンツォからの贈り物_a0129711_14051935.jpeg
この308は完成後、ピニンファリーナに大幅な値引き価格で合法的に売却され、公式にはテストカーとして納車されました。しかし実際にはフィオラバンティ氏個人の使用するクルマとして計画されたもので、フィオラバンティ氏はこれがエンツォフェラーリからの贈り物であり、驚異的な成功を収めた新型モデル308の設計に対する感謝の気持ちとして贈られたものであることを回想していました。フェラーリはこの特別な1台に、よりパワフルなエンジン(ハイカムシャフトと特別なバルブを組み込むことにより、15馬力から20馬力のパワーアップがされています。)や当時まだ開発中であったミシュランTRXタイヤなど、いくつかの特別な装備を装着しました。
フィオラバンティ氏はすぐにピニンファリーナ社内のトリムショップにクルマの革張りのインテリアを変更するように依頼し、助手席の背面にオーナーズマニュアルとサービスブックを収納するためのポケットを作らせました。ドアポケットからマニュアルとサービスブックが突き出てしまう元のところにしまうのが気に入らなかったためです。さらに彼はステアリングホィールをより太く再トリムするように依頼しました。その後、フィオラバンティ婦人がラゲージコンパートメントの合成皮革のカバーのジッパーが爪を傷めると苦情を言ったため、ピニンファリーナのトリムショップはジッパータグに黒い革のタグを追加しました。

レオナルドフィオラバンティ氏はサーキット走行や思い出に残るパリ旅行など、この308GTBベトロレジナと共に多くの幸せな年月を過ごしました。「40歳の時でした」と彼は回想します。「エンツォからの個人的な贈り物で、自分がデザインした新しいフェラーリでパリに向かってました。自分がどれほど幸運だったか信じられませんでした。」

2011年、35年近く所有した後、彼はシリアルナンバー20275を手放すことを決意しました。当初はミラノを拠点とするロンバルディア州の正規フェラーリディーラーであるロッソコルサsrlを通じて販売し、非常に包括的なパンフレットを作成しました。しかし最終的には日本のコレクターに直接売却しました。このクルマの現在のオーナー、蓮実俊司氏は2011年5月にフィオラバンティ氏から「マラネロに来て308を見て欲しい」と電話があった時のことを今でも覚えています。私がずっと308に憧れていたことを知っていた日本の著名なコレクターである小坂氏からフィオラバンティ氏は私の電話番号を教えてもらっていたのです。私はすぐに飛行機を予約し、5月11日にはすでにモデナに到着していました。フェラーリクラシケに足を踏み入れると、なんとフィオラバンティ氏がそこにいたのです。
彼は私をモンタナにランチに連れて行ってくれ、そこで契約をまとめました。308のプロジェクトスケッチまでプレゼントしてくれました。日本に帰国すると、友人がどうしても買いたいと言ってきたので譲ることにしました。しかし、もし彼が売却するなら、それは私だけだ、という条件付きでした。実際、私は2014年にこのクルマを購入し、それ以来ずっと私の手元にあります。

2025年の初夏、まさにこの目的のためにイタリアにこの308を送り返し、カバリーノの撮影のためにフィオラバンティ氏の自宅まで彼の308を運転出来たことに本当に感激しました。彼が308に再会してどれほど喜んでいたか、そして彼が行った小さな改造がすべて残っているかどうかをすぐに再確認した様子を、私はけっして忘れません。
イタリアに滞在中、シリアルナンバー20275は、フェラーリ308GTBの50周年を記念した特別クラスの一員として2025年のカバリーノ・モデナ・クラシックにエントリーしました。そこでプラチナ賞とクラス最高賞のトロフィーを獲得しました。



  by cavallino-cars | 2026-01-05 20:09 | Comments(0)

<< The birth of th... ENZO’S GIFT エンツ... >>

SEM SKIN - DESIGN by SEM EXE