

フェラーリの206~246ディーノモデルシリーズは小型で手頃な価格のV6エンジン搭載のスポーツカーで、合計4,067台が生産され大きな商業的成功を収めました。1970年初頭までに同社はすでにこの革新的なモデルシリーズをどのように継続していくかを検討していました。これはフェラーリの伝統的なV型12気筒のラインアップの重要な追加であり、生産台数と利益を向上させることになりました。フェラーリの経営陣はローエンドのモデルシリーズを2つに分割することを決定しました。ディーノはミッドシップの2+2のスポーツカーとして継続され、ディーノ246の真の後継車であるミッドシップ2シータースポーツカーはフェラーリの名前で販売される予定でした。両モデルとも排気量3000CCの同じ新設計90°V型8気筒エンジンを搭載していました。このエンジンは排気量3リッターと8気筒を表す「308」という共通要素をモデル名に取り入れました。2+2は2つのモデルのうち最初に登場しました。1973年10月、パリモーターショウでフェラーリはDino308gt4を発表しました。これは今日までベルトーネのデザインを採用したフェラーリで唯一のプロダクションモデルです。(詳しくはCAVALLINO 258号をご覧ください)

まったく新型V8エンジン搭載の308GTBの実現のためにフェラーリはピニンファリーナを起用し、そのスタイリストを任されたのはレオナルドフィオラバンティ氏でした。フェラーリ初のミッドシップ12気筒量産車である365GT4BBの生みの親である彼は、当然の選択だったと言えるでしょう。
デザイン面では308GTBはDino246を手掛けた同じスタイリストによって考案されたという事実を隠そうとはせず、実際この新しいV8スポーツカーはDinoデザインをよりシャープで現代的なものとし、ドアパネルからリアフェンダーに続くスカラップ状のエアインテークは2つの整ったヒップのようなリアフェンダーで終わっています。
リアには4つの円形のテールライトが装着され、フィオラバンティ氏がデザインしたDino246 と 365TB4デイトナに既につけられていたものより大きいものの、それ以外は類似しています。308のフロントデザインは完全に新しく2年前に発売されたベルトーネのDino308gt4 を彷彿とさせる長方形の要素とわずか112センチの高さと同様にくさび形のノーズが特徴です。
車全体のエレガントなラインにアグレッシブな雰囲気もプラスされています。
308GTB が発売された時アルミ製のフロントトランクリッドを除いて、すべてグラスファイバー(イタリア語でvetroresina)で作られたボディは自動車業界を驚かせました。当時グラスファイバー(今のカーボンファイバーのような)は非常に現代的な素材でした。フェラーリは1960年代半ばから一部のクルマの要素に使用していましたが、ボディの主要素材として使用したことはありませんでした。グラスファイバーは比較的安価で軽量であったためスポーツカーにとっては魅力的な選択でした。フィオラバンティ氏はこの点を高く評価していました。308GTBにこの素材を選んだ主な理由はおそらく2つあります。
一つ目はBBの発売を優先させるために308のプロジェクトを一時停止していたため、新しいモデルをできるだけ早く量産したいと考えていたことです。グラスファイバーでボディを作ることは金属プレス用の金型を製造するより明らかに時間のかからないプロセスでした。サプライヤーはボディシェルをモデナにあるフェラーリのスカリエッティ工場に製造し、そこで準備されてから出荷されました。

シャーシとメカニカルコンポーネンツを組み付けるためにマラネロにスカリエッティから移送されました。当初はスカリエッティで塗装が行われていたようですが、それも短期間でした。実際フェラーリがマラネロに新しい塗装工場を完成さえると308GTB の生産初期にはそこで塗装が始まりました。そしてもう一つの理由はフェラーリの経営陣が高価な金型への投資に消極的だったことです。実際石油危機の最中に発表されたディーノ308gt4はすぐに販売はふるわず、新型の308GTBの将来性にも懸念が生じたからです。しかしこれらの懸念はすぐに杞憂に終わり、このクルマは大きな反響を呼びました。前述のように社内でタイプF106と名つけられた新しく開発されたV8エンジンは3リッター8気筒を意味する308というモデル名の由来となりました。このV型90度エンジンは排気量2926cc、ウェーバー製キャブレター4基、独立したオイルリザーバーを備えたドライサンプ(308gt4 はウェットサンプ)を採用しています。

フェラーリは308GTBのヨーロッパ仕様デ7,700rpmで255馬力と発表していましたが、当時の雑誌記事、ディーラーのパンフレット、登録書類によると、生産開始当初、この数値は6,400rpmで227馬力に引き下げられました。この変更の理由は不明です。フェラーリが正式に発表した最高速は252km/hでしたが、ドイツの主要自動車雑誌Auto motor und sport は1976年に行われた広範囲なロードテストで308GTBの最高速を255.3km/hと認定しました。
フェラーリ308GTBは1975年10月2日にパリのサロン・ド・ロトで世界に発表されました。フェラーリの正規輸入代理店のシャルルポッツィは最初の生産車である308GTB(シャーシナンバー18677)を発表。このクルマはジャッロフライ20-Y-490(イエロー)で塗装され、ベージュスクーロ(ダークベージュ)のレザーインテリでした。
ピニンファリーナは車台番号18679を自社のブースで展示しました。アズーロピニンファリーナ(ライトメタリックブルー、標準のアズーロメタリザート、標準の106-A-32と同じ)で塗装され、サッビアM3234(サンド)のレザーインテリアを備えたこのクルマはフェラーリの公式のプレス用の写真にも掲載されました。2台の車両はそれぞれ9月11日と18日のモーターショーに間に合うように完成しました。パリでのイベントの直後フェラーリは1975年10月15日から25日まで開催されたロンドンのアールズコートモーターショーに308GTBを展示しました。
北米仕様、日本、オーストラリア向けの308GTBにはウェットサンプとツインデストリビューターが装着されていました。当初フェラーリは最高出力を240馬力としていましたが、すぐに205馬力に修正しました。また他のすべての国向けのクルマに装着されていたシングルパイプマフラーではなく、4本出しの排気システムを備えていました。ここで言いたいのは多くのヨーロッパの308GTBは当時すでに4本出しのマフラーに変えられていたということです。多くのオーナーはエレガントなシングルパイプのマフラーが音と見え方が控え目すぎると考えていたためです。
フェラーリは北米の認証条件のため308GTBにフロントとリヤに非常に大きなバンパーを装着しなければなりませんでした。これは他の多くのメーカーも直面している問題でした。米国とカナダ向けのクルマは現地での衝突試験条件を満たすために、シャーシに追加のフレームとつける必要がありました。さらに視覚的な違いはサイドにつくマーカーライトの存在でした。フロントにオレンジ、リアには赤のライトが装着されたのです。