先月10月27日母が亡くなりました。99才の大往生でした。父が他界したのは26年前。
これで私を支えたくれた両親が二人とも旅立ってしまいました
今から37年前、保険会社を辞め、この仕事を始めた時からずっと私を応援してくれた母でした。
当時は今の会社のそばにタワーパーキングを2台借り、父の事務所の一部屋を間借りして始めました。
最初は308gt4と308GTSQVの2台のみ。広告は当時の父の那須の別荘の庭で撮影しました。上は初めての広告です。
特選外車情報という雑誌の1ページに広告を載せ、月曜から日曜まで毎日10時から6時までお客さんからの電話を待っていました。最初のお客様は九州の方でした。シルバーの308gt4を買っていただいたことは昨日のように覚えています。ショールームはなく、駐車場から車を運び、見ていただいて今のお店の2階の事務所で契約をしました。経理は母にしてもらっていました。
徐々に会社も大きくなり、父に家賃を払い、1階を貸してもらうようになり、ショールームとして使用するようになりました。その後、神谷町にショールームを移転しましたが、
2010年6月に浅草に戻りました。
その頃はまだ母も元気でした。何度か転んで骨折もしましたが、そのたびにリハビリで歩けるようになりました。母は2015年90才でまで手伝ってくれていました。あとは余生を楽しむというときに93才で舌癌を発症。手術は成功しましたが、98才で再発、高齢のせいもあり、麻酔で亡くなる可能性が高いため、医師に相談してもなすすべがありませんでした。
昨年の夏に追い打ちをかけるように施設内で転倒してからは歩くこともできなくなり、ほぼ寝たきりになりました。
最後はやせ細り、足や手にクリームを塗ると直接骨に塗っているようでした。ガンが進行し、舌がゴルフボールほど大きくなり、口からたべることが難しくなり、2か月前からは足に点滴をし栄養をとるようになりました。
1回目のがんの手術前に「口から食べることが出来なくなったら、そのまま送ってね、空からずっと見守っているからね」と手術室に入っていった母を思い出します。延命措置はしてくれるなという母の希望でしたが点滴の管を抜けば1週間で亡くなるという医師の説明を聞いて、抜くことはできませんでした。
最後は話すことも、口から食べることも出来なくなってしまった母でしたが、私が行くと手をふってくれたり、寝ていても声をかけると目を開けてくれました。亡くなる一月ほど前に手を握るとぎゅっと握り返したことがありました。ジッと私をみていたのを思い出します。何か伝えたかったのだと思いますが、今では知るすべもありません。その時の母の手の感覚を思い出すと今でも胸がしめつけられます。葬儀には母を知っているお客さまや当時の従業員、そして取引先の方も来ていただき、供花もいただきました。お一人お一人に心から御礼申し上げます。
今は葬儀を終え、納骨までの49日は自宅にいます。
30年のお付き合いのお客さんであり、友人でもある住職さんから、遺骨が自宅に帰ってきたら、火葬にされ熱かったのでたくさん水を飲みたがるのでコップでなくどんぶりであげて下さいと言われ、なるほどとおもいそうしています。
最後は痩せて骨と皮だけになってしまった母だったので
ずっと私を支え続けてくれた母に心から感謝したいと思います。