

フェラーリを譲り受ける時にイタリア人の家庭に伺うと、どの家にも数百年前に作られた木製のクラシックな家具がある。

14世紀の建てられた家にすみ、クラシックな家具を使い、生活する豊かさは古き良きものを大切に守り続けることの素晴らしさを教えてくれる。

ローマやフィレンツェを訪れると古き良き美しい建物や美術品のような噴水などが街のいたるところにある。


日本では新築のモダンなマンションが主流ですが、イタリアではむしろ中世に建てられたようなマンションに住むことがステータスにもなっています。ルネッサンスの時期の出来るだけ美しく、かつ機能的であらねばならないという考えが彼らには引き継がれているのでしょう。

彼らの美しいものに対するこだわりは単にドンナ(女性)だけではないことがイタリアを訪れれば、訪れるほど理解できます。

古くとも美しいものを手をかけても守り続け、出来るだけともに暮らしていることのなんとエレガントなことか。
古くても良いものと暮らすと不思議と新しいものに目がいかなくなります。新しいもののチープなデザインが気になってくるのです。

車の進化は日進月歩で、安全性、スピード、すべての面で70年代の車を凌ぐものがでてきています。

しかし私の愛してやまない308には機能を追及しながら、デザインされた美しいフォルムがあります。今の機械によって作られたラインとは異なる熟練された職人にしかできない美しさです。

そんな美術品のような車がガレージにある生活は実にエレガントで、人生を豊かにしてくれます。

新しいフェラーリはそれはそれで魅力的ですが、5年もするとドアのインナーハンドルやスイッチ類がベタベタしてくるようなもの作りをしている今のフェラーリと70年代のものとは根本的にその姿勢が異なるような気がしてなりません。

すでに308はデビューから40年以上が経過しています。アンティーク家具のように100年先でもこの車の美しさは変わらないでしょう。なぜなら70年代のフェラーリにはエンツオのそしてイタリア人のフェラーリは美しく、速くならなければならないというスピリットが溢れているからにちがいありません。
私が308にひかれる理由はそんなところにもあるのです。