GTBturbo のヒーターバルブからの水漏れ

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昨年春にイタリアにGTBターボを見に行き、試乗してヒーターが効かないことがあった。販売店にそれを指摘するとヒーターバルブが壊れているために取り除いているとのこと。
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フロントセクションを見てみるとバルブからホースが外され、水が流れないようになっていました。
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これがオリジナルのヒーターバルブ。車内のボタンにより、外についたモーターが中の弁を開き、温水が巡り、ヒーターが効くシステムとなっている。その車はフェラーリの正規ディーラーでメンテナンスを受けていたのにもかかわらず、バルブの交換をしてなのが気になり、きれいなクルマだったが購入をあきらめたことがあった。

昨年末、弊社の輸入したGTBturbo が車検で入庫。ヒーターバルブからの水漏れが発覚。水漏れの原因はヒーターバルブ内のオーリングの劣化によるもの。海外でも同様のトラブルがあるらしく、ネットで検索してみるとオリジナルを分解してラバーガスケットを交換して再利用している人もいる。英国のパーツショップに新品のパーツがあるというので取り寄せたところ、予想どうりレバーでバルブを開けるタイプでオリジナルとは異なるものが来た。
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手前のレバーを動かして中の弁を開閉する仕組み。今回はこれを改造して、オリジナルについたパーツと組み合わせ、車内のボタンで動くモーターと連動するようにして取り付けました。40年も経過しているのでこういったトラブルがでてくるのは仕方ないですが、出来ればオリジナルパーツを供給してくれるところがあればそれを取り付けたい。
次回のイタリア出張時に探してこようと思います。

  # by cavallino-cars | 2026-01-08 12:00 | Comments(0)

The birth of the 308

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 308の誕生 レオナルド・フィオラバンティが語る
               
   文 ルカ・ダル・モンテ   写真 マックス・セラ

「50周年だなんて信じられない」とエンジニアのレオナルド・フィオラバンティは誇らしげに語ります。ここで話題にしているのは彼が1970年代半ばに設計したフェラーリ308のことです。1975年のパリモーターショーで発表された308は、10年間生産され続け、驚異的な16のバリエーションを経て、マラネロの販売台数を押し上げました。
当時、わずか数年前に伝説のフェラーリ365GTB4、通称デイトナをデザインしたフィオラバンティはピニンファリーナのデザイン責任者でした。

「それは私のアイデアでした」と彼は50年前を回想する。「このクルマの少し前にコメンダトーレはミッドエンジンのロードカーを考え始めていて、私もデザインを考え始めていました。正直に言うと、彼は懐疑的なところがありました。彼はミッドエンジンのクルマはプロフェッショナルなすぐれたドライバーが扱うからこそ、素晴らしいレースカーになるが、専門知識を持たない一般ドライバーが普段使い出来るクルマとして販売するとリスクが伴うのではないかと懸念していました。最終的にコメンダトーレはプロジェクトにゴーサインを出しましたが、エンジンは6気筒にしたいと指定してきました」
フィオラバンティが常にコメンダトーレと呼ぶエンツォ・フェラーリは彼の彼への真の敬意の表れです。
「彼はディーノの縦置き6気筒エンジンを使いたかったのですが、私は長すぎると感じてそのアイデアに乗り気ではありませんでした。代わりに横置き8気筒エンジンを提案し、コメンダトーレは同意しました。308は完全に私のアイデアだったというのはそういうことです。私自身はエンジニアには関わってはいませんが。」
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当時フィラバンティ氏はすでに8台のフェラーリモデルを自らデザインしており、ピニンファリーナと共にブランドの育成に尽力していたことから、ブランドの精神を知り尽くしていました。
「後に308となるクルマのアイデアをコメンダトーレに持ち込んた時、すでに頭の中にそのデザインがありました」と彼は回想します。
「フェンダーをなくし、シンプルな1本のラインに置き換えるといったディテールを考えれば、1969年のジュネーブショーとトリノモーターショーで公開されたP5とP6プロトタイプで、数々の未来的なアイデアを予感させるアイデアを試みたことを思い出すかもしれません。実際、308は私が以前に手掛けたものよりは過激さを抑え、よりロード志向の進化形だと考えていました。私にとってそれは自然の流れでした。」
当時としては革新的なソリューションであったグラスファイバーの使用もフィオラバンティ自身のアイデアの1つでした。
「単に軽いから提案しただけです」と彼は言う。
今朝、モンカリエーリの丘の中腹にある広々としたガレージ兼アトリエの大きな机に座り、数々の傑作の写真に囲まれていると数えきれないほどの記憶が次々と湧き上がってくる。
「最初のモデルは私がチェントロ・ストゥディの責任者を務めていたピニンファリーナで作られました。ボンネットはアルミニゥム製でしたが、それ以外はグラスファイバー製でした。しかしその後グラスファイバーでは当時の技術の限界により、完全に同一のモデルを製造できなかったため、従来のスチールとアルミニウムの組み合わせに戻ることにしました。
それがクルマの重量を100キロも重くすることになったのです。」
こうして365のプレキシのヘッドライトの場合と同様に、フィオラバンティは自身のアイデアの強さに突き動かされ、グラスファイバーを熱心に推進しましたが、最終的には大多数の意見に屈しなけらばなりませんでした。
財政的な理由からエンツォ・フェラーリでさえ、もはや反対できなくなったのです。
「これはイノベーションにはよくあることです。人々は以前のものと比べて物事がわずかに変化することを好むのです」とフィオラバンティは言い、その後、常に自分に忠実であり、揺るがぬ信念をもつ人物ならではの自信にあふれた言葉で
「私は常にあらゆるものに革命を起こす用意は出来ていましたが、人々はそれについてこれなかったのです」と説明した。
時がたつにつれ、誕生以来優美なラインに恵まれていた308はいくつかの変更が加えられた。例えば、フロントスポイラーの大型化です。
「当時はグランドエフェクトは正しく理解されていませんでしたが、風洞実験では少し揚力があることには気が付いていました」とフィオラバンティは回想する。
「そこでスポイラーを長くすることに決め、それがうまくいきました。もう一度言いますが、これは風洞実験で得たデーターによって決定した単純な変更です。」と彼は指摘し、続けます。
「機能は常にすべての出発点なのです。」と繰り返す。フィオラバンティは自身のデザインに多大なエンジニアリングの影響を組み入れるだけでなく、古典的なものも組み入れることを好んでいます。「美とは何か?」と彼は考えながら私たちは308について語ります。
308の魅力は紛れもないものです。彼は答えとしてプラトンの言葉を引用します。
「美とは真実の輝きである。言い換えれば、まず真実を創造しなければならない。私にとってそれは機能を意味する。機能がその輝きを現す時、そこに美が生まれる。」

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308の様々な進化形には、有名なミッレキオーディが含まれます。このクルマは生産されることはありませんでしたが、後に他のフェラーリモデルの開発に影響を与えました。「ミレキオーディの物語は実はとてもシンプルです」とフィオラバンティは説明します。
「より速い速度をだすためには、より大きなリムとタイヤを装着してトレッドを広げる必要がありましたが、それではクルマのボディラインを超えてしまします。そこで、ある日マラネロで、アルミニウムを用意し、何をすべきかを提案しました。
それは安価で魅力的なものになりました。問題はその空力のアルミニウムのパーツをどうやってボデイに固定するかでした。
飛行機で使われているリベットについて考え始め、それが非常に簡単な解決策となりました。マラネロの作業員たちは何百ものリベットを使ってすべてのアルミニウムの部品をボディに固定したのです。これがミッレキオーディ(千本の釘)という名前につながりました。すべてがむき出しのまま残され、銀色のボディはまるで未完成品のような印象を与えました。ミッレキオーディは1977年のジュネーブで発表されました。前述のように生産には至りませんでしたが、そのアイデアは、そのシンプルさゆえに素晴らしく、このクルマは今でも人々を魅了します。
「ほとんどすべてのデザインの背後には隠れされた物語があり、美しさの点で最高のバージョンは常に最初のプロトタイプです」とフィオラバンティは明かす。その理由は簡単に理解できる。
「最初のプロトタイプは常に、それを設計した人物、つまり熟練の献身的な作業員によって設計者に監督され、元のデザインを忠実に再現しているからです」と彼は説明する。
「後になってメーカーがコストやその他の多くのことを懸念し、介入すると、元のデザインは最終的に変更され、ほとんどの場合台無しになるのです。」
しかし308がフィオラバンティの心の中で特別な場所を占めている理由は、あまり知られていない他の理由があります。
倹約家(ケチ)として悪名高いエンツォ・フェラーリは彼にプレゼントとして308を贈りました。
「このモデルのおかげで、フェラーリの生産量は大幅に増加し、常にビジネスの財務面を非常に意識していたコメンダトーレは、まるで恩返しのように私にこの特別な308をくれました。税制上無料で提供することは不可能でしたが、非常に特別な価格でした。
最初はピニンファリーナにロードテストを行うという名目で登録されましたが、実際は私のクルマでした」
なぜシルバーの塗装を選んだのかを尋ねると、フィオラバンティ氏は
「ジウジアーロ、ガンディーニその他すべてのデザイナーは、自分のクルマをメタリックシルバーグレーにすることを好みます。その色はセクションを見やすくするのに対し、他の色は細部を隠してしまう傾向があるからです」と答えました。
「私たちにとっては他の色はあり得ないのです。」と彼は力強く言いました。


  # by cavallino-cars | 2026-01-06 16:27 | Comments(0)

ENZO’S GIFT エンツォからの贈り物

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308GTBは発売直後から世界中から注文が殺到し、経済的に大きな成功を収めました。この段階でグラスファイバー製ボディからスチールボディへの切り替えが可能と判断されました。グラスファイバーを良好な水準で仕上げるのは非常に難しいことが明らかになったことに加え、新たに製造されたファイバーボディの乾燥に時間がかかりすぎるため、生産が市場の需要に追いつかなかったことが大きな要因でした。そこで1976年11月と12月に、フェラーリは308GTBのボディをスチールで生産し始めました。最初のスチールボディのモデルはすべて北米仕様車でした。ファイバーモデルは1977年春まで他の地域の仕様として生産されました。その後それらもスチール製ボディに変更され生産されるようになりました。フロントボンネットは引き続きアルミニウムが使用され、フロントスカートとリアスカートも引き続きグラスファイバーが使用されました。
スチールボディの308GTBは初期のファイバーモデルと簡単に見分けられます。ファイバーモデルだけがAピラーに沿って継ぎ目が見えるからです。スチール製の308のリヤパネルにはナンバープレートを収納するための長方形の窪みが設けられました。また308GTBヴェトロレジナには白いリバースライトがリヤバンパーの中に埋め込まれていましたが、スチール製になってからは丸いオレンジ色のインジケーターライトに移設され、レンズ中央に円形の白いライトが埋め込まれました。Vetroresinaではオレンジ一色でした。スチール製の308はファイバーモデルよりも約135kg重くなっています。公式の数値はありません。スチールボディ導入後、1977年にはグラスファイバー製の大型スポイラーがオプションになります。(北米仕様を除く、すべてのモデル)これは非常に人気があり、公式にスポイラーが装備されていなかった時代の多くのファイバーボディに後付けされました。さらにメーカーオプションとして(北米では同様に利用できませんでしたが)ピレリP7タイヤを装着した16インチホィールも提供されました。1978年シャーシナンバー236xxあたりで、フェラーリはリアリッド(エンジンとラッゲージコンパートメントを両方覆う)を支えるために使用されていた単一の中央支持スタンドを左右二つのガスダンパーに変更しました。1980年キャブレター搭載の308GTBの生産終了に際し、フェラーリはモモ製のステアリングからスロット付きのスポークをもつ、より目立つホーンボタンを備えた、わずかに異なるナルディ製のステアリングホィールに変更しました。

ここで紹介する308GTBVetroresina はその生涯のほとんどをレオナルドフィオラバンティ自身の手によって過ごした、非常に特別な1台です。シリアルナンバー20275は1976年11月5日に完成し、アルジェントメタリザート106-E-1(メタリックシルバーグレイ)にバーガンディのインテリアが施されました。当初予定されていたネロ(黒)のレザーは納車直前に変更されました。
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この308は完成後、ピニンファリーナに大幅な値引き価格で合法的に売却され、公式にはテストカーとして納車されました。しかし実際にはフィオラバンティ氏個人の使用するクルマとして計画されたもので、フィオラバンティ氏はこれがエンツォフェラーリからの贈り物であり、驚異的な成功を収めた新型モデル308の設計に対する感謝の気持ちとして贈られたものであることを回想していました。フェラーリはこの特別な1台に、よりパワフルなエンジン(ハイカムシャフトと特別なバルブを組み込むことにより、15馬力から20馬力のパワーアップがされています。)や当時まだ開発中であったミシュランTRXタイヤなど、いくつかの特別な装備を装着しました。
フィオラバンティ氏はすぐにピニンファリーナ社内のトリムショップにクルマの革張りのインテリアを変更するように依頼し、助手席の背面にオーナーズマニュアルとサービスブックを収納するためのポケットを作らせました。ドアポケットからマニュアルとサービスブックが突き出てしまう元のところにしまうのが気に入らなかったためです。さらに彼はステアリングホィールをより太く再トリムするように依頼しました。その後、フィオラバンティ婦人がラゲージコンパートメントの合成皮革のカバーのジッパーが爪を傷めると苦情を言ったため、ピニンファリーナのトリムショップはジッパータグに黒い革のタグを追加しました。

レオナルドフィオラバンティ氏はサーキット走行や思い出に残るパリ旅行など、この308GTBベトロレジナと共に多くの幸せな年月を過ごしました。「40歳の時でした」と彼は回想します。「エンツォからの個人的な贈り物で、自分がデザインした新しいフェラーリでパリに向かってました。自分がどれほど幸運だったか信じられませんでした。」

2011年、35年近く所有した後、彼はシリアルナンバー20275を手放すことを決意しました。当初はミラノを拠点とするロンバルディア州の正規フェラーリディーラーであるロッソコルサsrlを通じて販売し、非常に包括的なパンフレットを作成しました。しかし最終的には日本のコレクターに直接売却しました。このクルマの現在のオーナー、蓮実俊司氏は2011年5月にフィオラバンティ氏から「マラネロに来て308を見て欲しい」と電話があった時のことを今でも覚えています。私がずっと308に憧れていたことを知っていた日本の著名なコレクターである小坂氏からフィオラバンティ氏は私の電話番号を教えてもらっていたのです。私はすぐに飛行機を予約し、5月11日にはすでにモデナに到着していました。フェラーリクラシケに足を踏み入れると、なんとフィオラバンティ氏がそこにいたのです。
彼は私をモンタナにランチに連れて行ってくれ、そこで契約をまとめました。308のプロジェクトスケッチまでプレゼントしてくれました。日本に帰国すると、友人がどうしても買いたいと言ってきたので譲ることにしました。しかし、もし彼が売却するなら、それは私だけだ、という条件付きでした。実際、私は2014年にこのクルマを購入し、それ以来ずっと私の手元にあります。

2025年の初夏、まさにこの目的のためにイタリアにこの308を送り返し、カバリーノの撮影のためにフィオラバンティ氏の自宅まで彼の308を運転出来たことに本当に感激しました。彼が308に再会してどれほど喜んでいたか、そして彼が行った小さな改造がすべて残っているかどうかをすぐに再確認した様子を、私はけっして忘れません。
イタリアに滞在中、シリアルナンバー20275は、フェラーリ308GTBの50周年を記念した特別クラスの一員として2025年のカバリーノ・モデナ・クラシックにエントリーしました。そこでプラチナ賞とクラス最高賞のトロフィーを獲得しました。



  # by cavallino-cars | 2026-01-05 20:09 | Comments(0)

ENZO’S GIFT エンツォからの贈り物

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フェラーリの206~246ディーノモデルシリーズは小型で手頃な価格のV6エンジン搭載のスポーツカーで、合計4,067台が生産され大きな商業的成功を収めました。1970年初頭までに同社はすでにこの革新的なモデルシリーズをどのように継続していくかを検討していました。これはフェラーリの伝統的なV型12気筒のラインアップの重要な追加であり、生産台数と利益を向上させることになりました。フェラーリの経営陣はローエンドのモデルシリーズを2つに分割することを決定しました。ディーノはミッドシップの2+2のスポーツカーとして継続され、ディーノ246の真の後継車であるミッドシップ2シータースポーツカーはフェラーリの名前で販売される予定でした。両モデルとも排気量3000CCの同じ新設計90°V型8気筒エンジンを搭載していました。このエンジンは排気量3リッターと8気筒を表す「308」という共通要素をモデル名に取り入れました。2+2は2つのモデルのうち最初に登場しました。1973年10月、パリモーターショウでフェラーリはDino308gt4を発表しました。これは今日までベルトーネのデザインを採用したフェラーリで唯一のプロダクションモデルです。(詳しくはCAVALLINO 258号をご覧ください)
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まったく新型V8エンジン搭載の308GTBの実現のためにフェラーリはピニンファリーナを起用し、そのスタイリストを任されたのはレオナルドフィオラバンティ氏でした。フェラーリ初のミッドシップ12気筒量産車である365GT4BBの生みの親である彼は、当然の選択だったと言えるでしょう。
デザイン面では308GTBはDino246を手掛けた同じスタイリストによって考案されたという事実を隠そうとはせず、実際この新しいV8スポーツカーはDinoデザインをよりシャープで現代的なものとし、ドアパネルからリアフェンダーに続くスカラップ状のエアインテークは2つの整ったヒップのようなリアフェンダーで終わっています。
リアには4つの円形のテールライトが装着され、フィオラバンティ氏がデザインしたDino246 と 365TB4デイトナに既につけられていたものより大きいものの、それ以外は類似しています。308のフロントデザインは完全に新しく2年前に発売されたベルトーネのDino308gt4 を彷彿とさせる長方形の要素とわずか112センチの高さと同様にくさび形のノーズが特徴です。
車全体のエレガントなラインにアグレッシブな雰囲気もプラスされています。
308GTB が発売された時アルミ製のフロントトランクリッドを除いて、すべてグラスファイバー(イタリア語でvetroresina)で作られたボディは自動車業界を驚かせました。当時グラスファイバー(今のカーボンファイバーのような)は非常に現代的な素材でした。フェラーリは1960年代半ばから一部のクルマの要素に使用していましたが、ボディの主要素材として使用したことはありませんでした。グラスファイバーは比較的安価で軽量であったためスポーツカーにとっては魅力的な選択でした。フィオラバンティ氏はこの点を高く評価していました。308GTBにこの素材を選んだ主な理由はおそらく2つあります。
一つ目はBBの発売を優先させるために308のプロジェクトを一時停止していたため、新しいモデルをできるだけ早く量産したいと考えていたことです。グラスファイバーでボディを作ることは金属プレス用の金型を製造するより明らかに時間のかからないプロセスでした。サプライヤーはボディシェルをモデナにあるフェラーリのスカリエッティ工場に製造し、そこで準備されてから出荷されました。
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シャーシとメカニカルコンポーネンツを組み付けるためにマラネロにスカリエッティから移送されました。当初はスカリエッティで塗装が行われていたようですが、それも短期間でした。実際フェラーリがマラネロに新しい塗装工場を完成さえると308GTB の生産初期にはそこで塗装が始まりました。そしてもう一つの理由はフェラーリの経営陣が高価な金型への投資に消極的だったことです。実際石油危機の最中に発表されたディーノ308gt4はすぐに販売はふるわず、新型の308GTBの将来性にも懸念が生じたからです。しかしこれらの懸念はすぐに杞憂に終わり、このクルマは大きな反響を呼びました。前述のように社内でタイプF106と名つけられた新しく開発されたV8エンジンは3リッター8気筒を意味する308というモデル名の由来となりました。このV型90度エンジンは排気量2926cc、ウェーバー製キャブレター4基、独立したオイルリザーバーを備えたドライサンプ(308gt4 はウェットサンプ)を採用しています。
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フェラーリは308GTBのヨーロッパ仕様デ7,700rpmで255馬力と発表していましたが、当時の雑誌記事、ディーラーのパンフレット、登録書類によると、生産開始当初、この数値は6,400rpmで227馬力に引き下げられました。この変更の理由は不明です。フェラーリが正式に発表した最高速は252km/hでしたが、ドイツの主要自動車雑誌Auto motor und sport は1976年に行われた広範囲なロードテストで308GTBの最高速を255.3km/hと認定しました。
フェラーリ308GTBは1975年10月2日にパリのサロン・ド・ロトで世界に発表されました。フェラーリの正規輸入代理店のシャルルポッツィは最初の生産車である308GTB(シャーシナンバー18677)を発表。このクルマはジャッロフライ20-Y-490(イエロー)で塗装され、ベージュスクーロ(ダークベージュ)のレザーインテリでした。
ピニンファリーナは車台番号18679を自社のブースで展示しました。アズーロピニンファリーナ(ライトメタリックブルー、標準のアズーロメタリザート、標準の106-A-32と同じ)で塗装され、サッビアM3234(サンド)のレザーインテリアを備えたこのクルマはフェラーリの公式のプレス用の写真にも掲載されました。2台の車両はそれぞれ9月11日と18日のモーターショーに間に合うように完成しました。パリでのイベントの直後フェラーリは1975年10月15日から25日まで開催されたロンドンのアールズコートモーターショーに308GTBを展示しました。
北米仕様、日本、オーストラリア向けの308GTBにはウェットサンプとツインデストリビューターが装着されていました。当初フェラーリは最高出力を240馬力としていましたが、すぐに205馬力に修正しました。また他のすべての国向けのクルマに装着されていたシングルパイプマフラーではなく、4本出しの排気システムを備えていました。ここで言いたいのは多くのヨーロッパの308GTBは当時すでに4本出しのマフラーに変えられていたということです。多くのオーナーはエレガントなシングルパイプのマフラーが音と見え方が控え目すぎると考えていたためです。
フェラーリは北米の認証条件のため308GTBにフロントとリヤに非常に大きなバンパーを装着しなければなりませんでした。これは他の多くのメーカーも直面している問題でした。米国とカナダ向けのクルマは現地での衝突試験条件を満たすために、シャーシに追加のフレームとつける必要がありました。さらに視覚的な違いはサイドにつくマーカーライトの存在でした。フロントにオレンジ、リアには赤のライトが装着されたのです。

  # by cavallino-cars | 2026-01-05 12:37 | Comments(0)

CAVALLINO 270号

新年明けましておめでとうございます。
今日から少しずつ昨年末に送られてきましたCAVALLINOマガジンの270号の308に関する記事をご紹介させていただきます。

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今日は見開きのCEO であるLuigi Orlandini 氏からの読者に対するメッセージの308に関する部分を抜粋してお届けします。

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親愛なる読者の皆様へ、

私は今、JFKとミラノ間のお気に入りのフライトでこの記事を書いています。決して宣伝しているわけではありません。
このフライトでは広々としたプライベートスィート、ドンペリニオンがいつでも提供され、キャビアが食べ放題です。
さらに他の乗客とドリンクを飲みながらおしゃべりができる素敵なカクテルバーもあります。
良い体験を思い出深いものにするには、サービス提供者の多大な努力が必要です。そして、まさにこれが、私たちカバリーノ&カノッサが日々目指していることであり、クラシックでの体験が年々向上するよう、たゆまぬ努力を続けています。
270号では308の半世紀を祝った特集がくまれています。表紙はエンツォフェラーリがレオナルドフィオラバンティに美しいデザインへの感謝の気持ちとして贈ったクルマです。現在のオーナーである日本の友人、蓮実俊司氏のおかげでこのクルマをロンドンのロイヤルオートモビルクラブで記念イベントのために展示することができました。308は私にとっても特別なモデルです。
私の最初のフェラーリは1985年式のGTSターボだったからです。
心よりお祝い申しあげます。

ルイジオルランディーニ
会長兼CEO

おそらくエミレーツのファーストクラスで書かれた記事だと思います。一度でもルイジさんの運営するカノッサのイベントに参加すれば彼の素晴らしいホスピタリティに感動し、それが人生で忘れられない思い出となることでしょう。昨年の私のように。

  # by cavallino-cars | 2026-01-05 11:57 | Comments(0)

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